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北海道石炭採掘創始の碑

1854年3月31日(嘉永7年3月3日)、江戸幕府とアメリカとの間に日米和親条約が締結され、アメリカ船の物資補給のために下田と函館が開港される事となる。これにより蝦夷地にて石炭の採掘が必要となる。
1857年(安政4年)5月にシリエトと呼ばれていた岬にて採掘が開始される事となる。2箇所の坑口より人力にて採掘が行われたが、産出炭の品質低下などにより7年で閉山する事となる。
シリエトと呼ばれていた岬も石炭岬と名前を変え現在に至っています。北海道の石炭鉱業の始まりを記した石碑は国道38号線からJRを超えた丘の上に設置されています。国道から辛うじて確認ができる程度となっている。




[ 2010/12/24 08:40 ] 釧路支庁 白糠町 | TB(0) | CM(0)

松浦判官宿泊聴佛法僧之地

道北の内陸部、天塩川上流に音威子府村がある。2010年11月現在、北海道で一番人口の少ない市町村である。音威子府の名前が歴史に登場するのは、1797(寛政9)、「松前地並西蝦夷地明細記」で、「ヲトヱ子フ」と表記される事から始まる。
1857年(安政4年)に松浦武四郎が自身5回目の蝦夷地調査の際に現在の音威子府村筬島付近を訪れる。付近にはアエトモの家族7名、トキノチの家族6名からなる2件の集落があり、そこで宿泊をする事になった。夜にり「ホッホッホッホッ」と鳥の鳴き声が聞こえてきた。アエトモが、昔最上ニシハが内地にもいる仏法僧という鳥だと言い、「余も始て仏法僧なる事を知りたり」と手塩日誌に書いている。



武市安哉(自由民権運動家・クリスチャン)の墓

 土佐(高知県)出身の自由民権運動家でクリスチャンである武市 安哉は、坂本直寛と同じく浦臼町にある札的地に眠る。
安哉は、鳥羽・伏見の戦いに土佐藩士として参加、維新後は小学校教員や大区長などを転身し、明治9年に立志学舎に入り、自由民権運動に身を投じていく。明治12年には県会議員となり、明治14年に県会議長を務めるなど発言力を強めるが、明治20年の三大建白運動中に保安条例違反により片岡健吉、坂本直寛らと共に2年間投獄される事になる。その後、明治22年2月11日、保安条例が解除され、憲法発布の恩赦により多数の民権家と共に開放された。そして、明治25年2月に行われた選挙に立候補し、国会議員に選出される事になる。
 国会議員に選出された安哉は、明治25年10月に北海道へ視察をする機会を得ることになる。石狩の大地に立った安哉は、政界に蔓延っている腐敗により民意が反映されていない国政よりも、北の大地へ希望を見出す。安哉は、明治18年に片岡健吉、坂本直寛らと高知教会にてキリスト教へ入信している。この北の大地にキリスト教の理想郷設営を思い立ち、視察中に月形集治監用地189万坪(630ヘクタール)の払い下げを申請する。受理された後の明治26年4月には国会議員を辞任。辞任後の明治26年7月に前田駒次、土居勝郎ら27人と共に浦臼町札的に移民を実施し、聖園農園を開く。翌27年4月に二回目の移民を受け入れ、三回目の移民を募集する為に高知へ向かう船中にて急死してしまう。明治27年12月2日、享年48歳であった。


[ 2010/10/31 08:25 ] 空知支庁 浦臼町 | TB(0) | CM(0)


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