スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[タグ未指定]
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

津軽藩士殉難慰霊の碑

 ロシアの南下を懸念した幕府は文化4年3月に西蝦夷地を直轄領とする。文化3年(1806年)9月、ロシアのフヴォストフ率いるフリゲート艦によるクシュンコタン襲撃、翌4年3月に同じくエトロフのシャナが襲撃される事件が発生した。これを重大視した幕府は南部・津軽藩を含む東北諸藩から4000人規模を動員し、エトロフ・カラフトを重点とする警備体制を引くこととなる。  すでにサハラ・エトロフに勤番所を設けていた津軽藩にも増員が掛けられる。始めに宗谷に派遣され、その内100名が急遽、斜里へ派遣される事となった。7~8月頃斜里に到着し、番屋を設け警備に当たったが、準備不足と11月中旬から寒さと栄養不足により病人が続出、72名の藩士が死亡してしまいました。  72名の藩士の慰霊の為、昭和48年に「津軽藩士殉難慰霊碑」が建立されました。毎年7月下旬に慰霊祭が行われています。


Highslide JS
Highslide JS
Highslide JS
Highslide JS
Highslide JS

所在地 北海道斜里郡斜里町本町49-2td>
電話番号 -
休み -
時間 -
交通 JR知床斜里駅から徒歩15分
駐車場 有り
利用料金 -


●Googleマップ
より大きな地図で 北海道こんな所の地図 を表示
関連記事
スポンサーサイト
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。