人の往来も多い琴似の街中にビルとビルに囲まれた路地を歩くと古びた木造住宅と畑がある一角が現れる。この建物は琴似が屯田兵村だった頃を今に伝えるものである。
北方開拓の為、明治2年(1869年)7月8日に開拓使が置かれに明治政府による北海道開拓が本格的に開始される。北海道同様に開拓使の管轄に置かれた樺太で日露間に紛争が発生する(樺太は安政元年に締結された日露和親条約によって日露両国の雑居地となっていた)など、ロシアの南下や福山・江差騒動の発生など、治安の懸念があったが、明治4年3月の段階で函館周辺の警備に当たっていた、総員174名のみであり北海道の防備と考えるとまったく足りていなかった。このような背景もあり、開拓次官の黒田清隆により太政官に屯田制の建議があり、明治7年に屯田兵例則が定めらる。
琴似は屯田兵例則が定められた後に最初の兵村であり、明治7年に建設に着手され、明治8年5月17日に最初の57戸、213名が入植。明治11年に7戸の分家補充後、第一中隊が編成され、全世帯人数で1142人の兵村となった。本建物は明治7年に建てられ、同8年に屯田兵として入植した宮城県亘理郡小堤村出身の清野専次郎に給与された第133号兵屋である。
敷地は150坪、建坪17.5坪の柾ぶき板囲い土壁作りで、一戸あたり230円69銭で建設され、未開の地の開拓の礎となった建物である。建物内部には当時の農機具や屯田兵制度に関する資料等が展示されており、当時の生活を垣間見る事ができる貴重な文化財となっている。
所在地 | 札幌市西区琴似2-5 |
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電話番号 | 011-621-1988 |
休み | 年末年始 |
時間 | 9:00~16:00 |
交通 | 地下鉄琴似駅1番出口から徒歩3分。 |
駐車場 | 無し |
利用料金 | 無料 |
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