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仙台藩白老元陣屋跡地

 安政2年2月、ロシアの南下を懸念した幕府は蝦夷地上知を実施し、箱館奉行が管轄する政策を取りました。松前藩、箱館奉行のみでの蝦夷地全域を防備することはできない為、南部・津軽・仙台・秋田藩に防備させました。クリミア戦争終結に伴い、ロシアの南下が活発化し、安政元年に結ばれた日露通好条約にて「界を分たず是迄仕来の通」と不透明な扱いになっていた樺太にて石炭の採掘や駐留を開始し、既成事実を作りながら国境交渉を開始してきました。
 このような事態を踏まえ、北方の防備を強めたい幕府は蝦夷地を東北地方の6藩に領地として付与し、蝦夷地の開発と警備を行うように命じました(1860年 万延元年)。白老から択捉までの広域を任された仙台藩は、現地に三好監物を調査に送り、白老に陣屋を築く事を決めます。1856年の春には陣屋の建設が開始され、仙台にて組み上げた建物を再度解体して、白老に運び込み組みなおす方式で作業は進み、同年の秋には陣屋が完成したようです。本陣屋は面積約66,000㎡、堀と土塁に囲まれた内曲輪・外曲輪・本陣・勘定所・殻蔵・稽古場・長屋などが築かれ、常時120名の藩士が毎年交代で北方の防備に当たっていました。
 陣屋開設から12年後の慶応4年(1868年)7月12日、奥羽越列藩同盟に参加していた仙台藩は新政府軍に降伏。それを聞いた陣屋の藩士は陣屋を放棄し、各地で身を隠しつつ小樽より仙台へ帰国。翌年白老郡の支配を命ぜられた一関藩が陣屋を壊し、新たに役所等を建築し、現在に至ってます。
 現在は陣屋跡等が平地保存されており、土塁や水豪など状態良く保存されています。敷地内に当時の資料等300点余を収納展示する、仙台藩白老元陣屋資料館が設けられており、陣屋跡などの詳細を知ることができます。 


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外曲輪正面付近
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外曲輪正面付近
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外曲輪正面付近説明板
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内曲輪正門
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井戸跡
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建物跡
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三番長屋跡
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内曲輪外堀
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火薬庫跡
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火薬庫跡
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火薬庫跡
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塩竈神社
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塩竈神社
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仙台藩白老元陣屋資料館
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当時の見取図
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説明板
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内曲輪全景


所在地 胆振管内白老町陣屋町681
電話番号 0144-85-2666
休み 毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)
年末年始(12月29日~1月5日)
時間 午前9時30分~午後4時30分
交通 白老駅からタクシーで5分。
白老ICから車で10分。
駐車場 200台
利用料金 一般300円 ※資料館利用の場合


●Googleマップ
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あまりその方は詳しくないのですが、安政2年のこの話は、初めて知りました。
仙台藩と北海道は伊達市の件は知ってますが、
[ 2009/09/11 16:03 ] [ 編集 ]
ふるーとさん

東北地方と北海道の結びつきは昔から深いですね。

安政2年の件も含めまして、北海道の幕領化について纏めてみました。よろしければご参考にしてください。

・第一次幕領時代
 寛政4年のラクスマン来航やイギリス船の漂着などがあり、幕府は寛政10年に大規模な蝦夷地調査を行います。東は様似から択捉、北は宗谷までの調査にて国境の定まっていない状態で、ロシアの南下・同時にアイヌとの結びつきが起る事を容易ならないと考えます。翌寛政11年1月に東蝦夷地の浦川〜知床、東奥島々を7年間上知する事を松前藩に通知しました。同年8月に知床〜箱館〜浦川についても追上知され、7年間の期限付きについても享和2年に改められ永上知とされています。文化4年には西蝦夷地も上知され蝦夷地全域の幕府による直轄支配が始まりました(松前藩については陸奥国伊達郡梁川へと転封)。警備体制については南部・津軽の両藩に申し渡されましたが、後に仙台・秋田・会津にも警備が申し渡されています。直轄支配は文政4年まで続きました。
・第二次幕領時代
 嘉永6年、ペリー来航・プチャーチン来航とアメリカ・ロシアによる積極的な日本への介入が始まり、安政1年の日米和親条約、日露通好条約調印へと進みます。同年、幕府は箱館周辺5〜6里を上知し箱館奉行所を設置。翌年2月には木古内以東、乙部以北の地を上知し直轄体制へと移行します。警備については南部・津軽・仙台・秋田の諸藩により実施。箱館付近については松前藩が警備を担当しています。安政6年7月にはロシア使節ムヴィヨフが樺太の全島領有を主張し幕府と交渉を実施。同年9月に幕府は東北諸藩に蝦夷地を分与し、開拓と警備にあたらせます。
[ 2009/09/12 17:52 ] [ 編集 ]
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