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江別飛行場跡

 現在、閑静な住宅街となっている江別市元江別地区に飛行場があった。
太平洋戦争真っ只中の昭和18年、ジュラルミン等の軍需物資の不足を懸念した陸軍は代替材料による戦闘機の生産案が計画される。これにより昭和18年9月、王子製紙に対して木製航空機の製造を命じる事になる。本命令を受け、王子製紙は中島飛行機へ技術者を実習へ出し、昭和19年5月23日に王子航空機株式会社を設立、四式戦闘機「疾風」の木製版であるキ-106の製造に入る。6月15日には軍の管轄工場に指定され、中島飛行機より指導員の派遣等が始まり本格的な生産が始まる事となる。
 王子航空機株式会社の設立と同時にキ-106の試験飛行の為、元江別の丘陵先端部に飛行場の造成が開始された。飛行場の建設は進み昭和20年4月には2000mの滑走路と工場と飛行場の間を4kmに渡って繋げる誘導路が完成した。
 キ-106は中島飛行機・国鉄苗穂工機部・北海道工業試験場の技術協力の元、終戦までに江別工場にて3機完成し、本飛行場より飛び立った(2機は空輸による納品、1機は終戦時に飛び去ったとされている)。  滑走路については宅地化により現存していないが、誘導路については市道として当時と現存している部分もある。キ-106については、合板やキャノピー・車輪や戦後に発見された生産計画書や図面などが江別市郷土資料館に展示されている。



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[タグ] 江別 史跡
[ 2010/05/14 08:00 ] 石狩支庁 江別市 | TB(0) | CM(0)

坂本直寛(龍馬の甥)・弥太郎の墓

 坂本直寛は龍馬の甥にあたる。本家5代目当主である。自由民権運動に身を投じ、立志社時代には憲法起草委員として「日本憲法見込案」の起草。高知県議員に当選し政治に深く関わっていた。同時に敬虔なクリスチャンでもあり、1885年に高知基督教会が設立された後、同教会にて洗礼を受けキリスト教徒となっている。
 1896年、片岡健吉らの勧めやロシアの南下の憂いもあり北海道開拓に乗り出す事になる。キリスト教系移民団である「北光社」を高知にて設立し、一族合わせて600名にて北見訓子府へ移民を実施する。
 その後、浦臼にて武市安哉が開いた聖園農場へ移住し、明治37年には旭川日本基督教会にて按手礼を受ける。その後は牧師として十勝監獄や旭川師団など囚人や軍人に対する伝道に尽力している。明治42年には札幌へ転居し、札幌北一条協会の牧師となり。明治44年、胃ガンで没している。
 坂本直寛は札幌の円山の麓にある円山地に葬られている。坂本直寛の石の並びには長女・直意(なおひろ)の婿養子である坂本弥太郎のもある。弥太郎は材木業を営むなど商才も豊かで、札幌にて議員を務めるなど政治への参加も行っていた。直寛と同じく敬虔なキリスト教徒でもある。


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坂本直寛の(郷士坂本家5代目当主)
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坂本直寛の石裏側
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坂本一族の全景
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坂本弥太郎の墓(郷士坂本家6代目当主)
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坂本弥太郎の墓(郷士坂本家6代目当主)
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所在地 札幌市中央区南4条西28丁目
電話番号 -
休み -
時間 -
交通 地下鉄東西線円山公園駅から徒歩10分
駐車場 無し
利用料金 無料


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江別屯田第三大隊火薬庫跡

 江別屯田兵の始まりは明治11年8月に岩手県より10戸が入植する事に始まる。入植当初は琴似屯田の第一大隊付属分隊となっており、明治20年に江別と篠津の屯田をあわせて第三大隊が編成されることになる。第三大隊は萩ヶ丘に大隊本部が置かれ本部及び付随施設や練兵場が整えられる。
 本火薬庫は、明治19年頃に建てられたと推測されている。明治24年2月に行われた第三大隊(江別・篠津)と第五大隊(滝川)の統合によって江別屯田の予備役編入に伴い大隊本部が滝川に移り、第三大隊本部は本部としての役割を終える。。大隊本部及び付随施設については別用途で使用されていたが昭和9年の火災で焼失。当時の建設物は本火薬庫のみとなっている。明治32年の江別尋常高等小学校の開校から戦後まで奉安殿として使用され、太平洋戦争後、校舎の改修工事の際に現存の位置へ移築され現在にいたる。


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裏側
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所在地 北海道江別市萩ヶ岡19
電話番号 -
休み -
時間 -
交通 江別小学校横、江別駅より徒歩5分
駐車場 無し
利用料金 無料


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[ 2010/04/21 08:30 ] 石狩支庁 江別市 | TB(0) | CM(0)

岡島洞窟遺跡

 札幌から留萌方面へ向けて国道231号線をしばらく北上すると旧浜益村の市街地が現れます。国道から右折すると、すぐ崖下に岡島洞窟遺跡があります。
遺跡は昭和11年・34年の2度にわたる発掘調査により、縄文文化期から擦文文化期までの7期間にわたる住居跡であることがわかりました。人骨や土器などの出土がありましたが、中でも特筆すべき発掘は第4文化層から出土したオホーツク土器になります。奥尻及び東北地方でオホーツク式土器が発掘されるまで、焼尻と岡島洞窟遺跡がオホーツク文化の南限であると考えられておりました。本遺跡を中継点として奥尻や東北へオホーツク人の南下が行われたと思われます。


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岡島洞窟遺跡
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洞窟全景
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説明板
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洞窟内部…明治25年の道路工事で大部分が消失
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遺跡上部

所在地 石狩市浜益区浜益
電話番号 -
休み -
時間 -
交通 札幌から車で1時間
駐車場 無し(周辺の空き地へ駐車可能)
利用料金 -


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[タグ] 石狩市 遺跡
[ 2010/04/18 11:40 ] 石狩支庁 石狩市 | TB(0) | CM(0)

琴似屯田兵村兵屋跡

 人の往来も多い琴似の街中にビルとビルに囲まれた路地を歩くと古びた木造住宅と畑がある一角が現れる。この建物は琴似が屯田兵村だった頃を今に伝えるものである。
 北方開拓の為、明治2年(1869年)7月8日に開拓使が置かれに明治政府による北海道開拓が本格的に開始される。北海道同様に開拓使の管轄に置かれた樺太で日露間に紛争が発生する(樺太は安政元年に締結された日露和親条約によって日露両国の雑居地となっていた)など、ロシアの南下や福山・江差騒動の発生など、治安の懸念があったが、明治4年3月の段階で函館周辺の警備に当たっていた、総員174名のみであり北海道の防備と考えるとまったく足りていなかった。このような背景もあり、開拓次官の黒田清隆により太政官に屯田制の建議があり、明治7年に屯田兵例則が定めらる。
 琴似は屯田兵例則が定められた後に最初の兵村であり、明治7年に建設に着手され、明治8年5月17日に最初の57戸、213名が入植。明治11年に7戸の分家補充後、第一中隊が編成され、全世帯人数で1142人の兵村となった。本建物は明治7年に建てられ、同8年に屯田兵として入植した宮城県亘理郡小堤村出身の清野専次郎に給与された第133号兵屋である。
 敷地は150坪、建坪17.5坪の柾ぶき板囲い土壁作りで、一戸あたり230円69銭で建設され、未開の地の開拓の礎となった建物である。建物内部には当時の農機具や屯田兵制度に関する資料等が展示されており、当時の生活を垣間見る事ができる貴重な文化財となっている。


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琴似村屯田兵村の開墾状況 1
北大北方資料室 - 明治大正期北海道写真目録(明治大正期の北海道・目録編)収載


所在地 札幌市西区琴似2-5
電話番号 011-621-1988
休み 年末年始
時間 9:00~16:00
交通 地下鉄琴似駅1番出口から徒歩3分。
駐車場 無し
利用料金 無料




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[ 2010/01/13 11:51 ] 石狩支庁 札幌市 | TB(0) | CM(0)


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