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仙台藩藩士墓地

 仙台藩が白老陣屋にて警備を実施した12年間に藩関係者に23名の死没者が判明している。死没者は寺や本地に弔われていたが、明治維新に伴う陣屋の放棄に伴い同地も記憶から忘れ去られました。その後、明治39年に雑草の中から石が発見された事により周辺住民が塩釜神社の建て直しや地の供養を行うようになりました。




所在地 胆振管内白老町陣屋町681
電話番号 -
休み -
時間 -
交通 白老駅からタクシーで5分。
白老ICから車で10分。
駐車場 無し
利用料金 無料


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[ 2009/09/13 00:46 ] 胆振支庁 白老町 | TB(0) | CM(2)

仙台藩白老元陣屋跡地

 安政2年2月、ロシアの南下を懸念した幕府は蝦夷地上知を実施し、箱館奉行が管轄する政策を取りました。松前藩、箱館奉行のみでの蝦夷地全域を防備することはできない為、南部・津軽・仙台・秋田藩に防備させました。クリミア戦争終結に伴い、ロシアの南下が活発化し、安政元年に結ばれた日露通好条約にて「界を分たず是迄仕来の通」と不透明な扱いになっていた樺太にて石炭の採掘や駐留を開始し、既成事実を作りながら国境交渉を開始してきました。
 このような事態を踏まえ、北方の防備を強めたい幕府は蝦夷地を東北地方の6藩に領地として付与し、蝦夷地の開発と警備を行うように命じました(1860年 万延元年)。白老から択捉までの広域を任された仙台藩は、現地に三好監物を調査に送り、白老に陣屋を築く事を決めます。1856年の春には陣屋の建設が開始され、仙台にて組み上げた建物を再度解体して、白老に運び込み組みなおす方式で作業は進み、同年の秋には陣屋が完成したようです。本陣屋は面積約66,000㎡、堀と土塁に囲まれた内曲輪・外曲輪・本陣・勘定所・殻蔵・稽古場・長屋などが築かれ、常時120名の藩士が毎年交代で北方の防備に当たっていました。
 陣屋開設から12年後の慶応4年(1868年)7月12日、奥羽越列藩同盟に参加していた仙台藩は新政府軍に降伏。それを聞いた陣屋の藩士は陣屋を放棄し、各地で身を隠しつつ小樽より仙台へ帰国。翌年白老郡の支配を命ぜられた一関藩が陣屋を壊し、新たに役所等を建築し、現在に至ってます。
 現在は陣屋跡等が平地保存されており、土塁や水豪など状態良く保存されています。敷地内に当時の資料等300点余を収納展示する、仙台藩白老元陣屋資料館が設けられており、陣屋跡などの詳細を知ることができます。 


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外曲輪正面付近
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外曲輪正面付近
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外曲輪正面付近説明板
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内曲輪正門
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井戸跡
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建物跡
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三番長屋跡
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内曲輪外堀
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火薬庫跡
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火薬庫跡
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火薬庫跡
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塩竈神社
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塩竈神社
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仙台藩白老元陣屋資料館
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当時の見取図
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説明板
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内曲輪全景


所在地 胆振管内白老町陣屋町681
電話番号 0144-85-2666
休み 毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)
年末年始(12月29日~1月5日)
時間 午前9時30分~午後4時30分
交通 白老駅からタクシーで5分。
白老ICから車で10分。
駐車場 200台
利用料金 一般300円 ※資料館利用の場合


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