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武市安哉(自由民権運動家・クリスチャン)の墓

 土佐(高知県)出身の自由民権運動家でクリスチャンである武市 安哉は、坂本直寛と同じく浦臼町にある札的地に眠る。
安哉は、鳥羽・伏見の戦いに土佐藩士として参加、維新後は小学校教員や大区長などを転身し、明治9年に立志学舎に入り、自由民権運動に身を投じていく。明治12年には県会議員となり、明治14年に県会議長を務めるなど発言力を強めるが、明治20年の三大建白運動中に保安条例違反により片岡健吉、坂本直寛らと共に2年間投獄される事になる。その後、明治22年2月11日、保安条例が解除され、憲法発布の恩赦により多数の民権家と共に開放された。そして、明治25年2月に行われた選挙に立候補し、国会議員に選出される事になる。
 国会議員に選出された安哉は、明治25年10月に北海道へ視察をする機会を得ることになる。石狩の大地に立った安哉は、政界に蔓延っている腐敗により民意が反映されていない国政よりも、北の大地へ希望を見出す。安哉は、明治18年に片岡健吉、坂本直寛らと高知教会にてキリスト教へ入信している。この北の大地にキリスト教の理想郷設営を思い立ち、視察中に月形集治監用地189万坪(630ヘクタール)の払い下げを申請する。受理された後の明治26年4月には国会議員を辞任。辞任後の明治26年7月に前田駒次、土居勝郎ら27人と共に浦臼町札的に移民を実施し、聖園農園を開く。翌27年4月に二回目の移民を受け入れ、三回目の移民を募集する為に高知へ向かう船中にて急死してしまう。明治27年12月2日、享年48歳であった。

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[ 2010/10/31 08:25 ] 空知支庁 浦臼町 | TB(0) | CM(0)

坂本龍馬一族の墓

 幕末の志士として知らない人はいないであろう、坂本龍馬一族の北海道浦臼町にあります。坂本龍馬北海道開拓に夢を描いていた人物でもあります。龍馬は慶応3年(1867年)3月6日、長州藩士印藤肇宛の手紙に次の一文を書いています。
「小弟ハエゾに渡らんとせし頃より、新国を開き候ハ積年の思ひ一世の思ひ出に候間、何とぞ一人でなりともやり付申べくと存居候。」
上記の一文の通り、蝦夷地での殖民・開拓・貿易の実施に対する龍馬の熱意はとても高かったといわれています。しかし、手紙を出した9ヶ月後に池田屋にて暗殺されてしまいます。
 そんな龍馬の意思を継いだのが、龍馬の甥である坂本直寛です。1895年にキリスト系移民団である「北光社」を設立し、1897年に北見に移住。そして後、武市安哉らと共に浦臼の開拓に従事しています。明治31年の石狩川の大洪水では直寛が多くの被災者に救済の手を差し伸べました。1899年、龍馬の養子である坂本直の妻である、留と長男坂本直衛が浦臼に移住し留が没するまで駄菓子屋を経営し開拓に尽力したそうです。
 浦臼町にあるは留と直衛の物になります。


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所在地 浦臼町札的
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