ホイド穴の跡

 「ホイド」とは浮浪者を指す方言で、昭和初期までこの洞窟を浮浪者が住居として利用していた事から「ホイド穴」と呼ばれるようになった。洞窟内は焚き火の煤によって煤光しており、匂いが残っているとの案内であるが、洞窟の埋没によって匂いなどは確認できない。
 明治元年の松前藩と徳川脱走軍の戦闘時には付近の住民がこの洞窟に逃げ込んだといわれている。
 平成17年に行われた工事の際に続縄文期の遺跡が発見され、発掘調査により恵山式土器などが出土している。


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所在地 北海道檜山郡厚沢部町
電話番号 -
休み -
時間 -
交通 車で厚沢部町から国道227号を大野町へ向かって20分程
駐車場 無し
利用料金 無料


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[タグ] 厚沢部町 史跡
[ 2010/04/19 08:45 ] 檜山支庁 厚沢部町 | TB(0) | CM(0)

仙台藩白老元陣屋跡地

 安政2年2月、ロシアの南下を懸念した幕府は蝦夷地上知を実施し、箱館奉行が管轄する政策を取りました。松前藩、箱館奉行のみでの蝦夷地全域を防備することはできない為、南部・津軽・仙台・秋田藩に防備させました。クリミア戦争終結に伴い、ロシアの南下が活発化し、安政元年に結ばれた日露通好条約にて「界を分たず是迄仕来の通」と不透明な扱いになっていた樺太にて石炭の採掘や駐留を開始し、既成事実を作りながら国境交渉を開始してきました。
 このような事態を踏まえ、北方の防備を強めたい幕府は蝦夷地を東北地方の6藩に領地として付与し、蝦夷地の開発と警備を行うように命じました(1860年 万延元年)。白老から択捉までの広域を任された仙台藩は、現地に三好監物を調査に送り、白老に陣屋を築く事を決めます。1856年の春には陣屋の建設が開始され、仙台にて組み上げた建物を再度解体して、白老に運び込み組みなおす方式で作業は進み、同年の秋には陣屋が完成したようです。本陣屋は面積約66,000㎡、堀と土塁に囲まれた内曲輪・外曲輪・本陣・勘定所・殻蔵・稽古場・長屋などが築かれ、常時120名の藩士が毎年交代で北方の防備に当たっていました。
 陣屋開設から12年後の慶応4年(1868年)7月12日、奥羽越列藩同盟に参加していた仙台藩は新政府軍に降伏。それを聞いた陣屋の藩士は陣屋を放棄し、各地で身を隠しつつ小樽より仙台へ帰国。翌年白老郡の支配を命ぜられた一関藩が陣屋を壊し、新たに役所等を建築し、現在に至ってます。
 現在は陣屋跡等が平地保存されており、土塁や水豪など状態良く保存されています。敷地内に当時の資料等300点余を収納展示する、仙台藩白老元陣屋資料館が設けられており、陣屋跡などの詳細を知ることができます。 


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外曲輪正面付近
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外曲輪正面付近
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外曲輪正面付近説明板
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内曲輪正門
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井戸跡
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建物跡
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三番長屋跡
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内曲輪外堀
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火薬庫跡
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火薬庫跡
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火薬庫跡
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塩竈神社
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塩竈神社
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仙台藩白老元陣屋資料館
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当時の見取図
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説明板
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内曲輪全景


所在地 胆振管内白老町陣屋町681
電話番号 0144-85-2666
休み 毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)
年末年始(12月29日~1月5日)
時間 午前9時30分~午後4時30分
交通 白老駅からタクシーで5分。
白老ICから車で10分。
駐車場 200台
利用料金 一般300円 ※資料館利用の場合


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志苔館跡

 函館空港の程近く、薄っすらと下北半島が見える丘に土塁が築かれています。これは国指定史跡の志苔館です。
 志苔館は南北朝の動乱の際、1400年代に上野国出身の小林重弘が津軽より渡り築いたのが始まりといわれています。その頃の北海道は和人が余市や鵡川に集落を形成し、道南地方には安藤氏を初めとする諸豪族が12の館を築いており、志苔館はその一つに数えられています。
1456年、志海苔の集落で鍛冶屋とアイヌの少年の間でマキリの製作について口論となり、鍛冶屋が少年を殺害。これを契機として、コシャマインが蜂起。小林良景が守る志苔館を攻撃。秋になり一度は蜂起が収まりましたが、翌57年のコシャマインの際蜂起によって、300名程度の守備であった志苔館は陥落し、小林良景は箱館(函館山麓にあった河野氏の館。ウスケシと呼ばれていたが、箱型だった為このように呼ばれていた)に避難しています。その後、コシャマインの蜂起は鎮圧され小林氏は志苔館に戻ったが、1512年のショヤ・コウシの蜂起により陥落、そのまま廃館となりました。
 志苔館は四方、2~4メートル、幅が10~15メートルの土塁で囲まれ、外堀があり、4100平方メートルの広さがあり、発掘調査により14世紀末から15世紀にかけての7棟分の建物跡や青磁器・白磁器などが発見されています。


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所在地 北海道函館市志海苔町
電話番号 -
休み -
時間 -
交通 -
駐車場 無し


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[タグ] 函館市 史跡
[ 2009/09/04 08:11 ] 渡島支庁 函館市 | TB(0) | CM(0)